山桃

山桃を蜂蜜につけたものを瓶ごと人から貰ってきた。紫色した液体の中に潰れず沈んでいる様子は葡萄の粒のようで、これをカルピスのように水で薄めると、山桃ジュースになる。着色料など勿論一切はいっていないのに、奇麗な薄紫色をしていて、ちょっと吃驚する。これがなかなか美味くて、立て続けに三杯も飲んでしまったから腹がタプタプになってしまった。
夜になってから、和歌山から桃が沢山届いたから明日にでも取りにくるように祖父から電話があった。和歌山というと祖父の弟の息子、つまり僕の母の従兄弟の奥さんの実家で、僕にとってはどういう関係にあたるのかよく知らないけれど、その母の従兄弟を、僕はたんに「隣りのおじさん」と呼んでいた。祖父の家のすぐとなりが祖父の弟の家で、祖父の弟は僕にとっては「隣りのじいちゃん」だった。その「隣りのじいちゃん」が、結婚して子どもが出来た息子夫婦に家を譲り他所へ移り住んだため、「隣りのじいちゃん」は「隣りのおじさん」になったのである。僕が小学校六年生ぐらいだった頃だ。「隣りのおじさん」は考古学を研究している人で、家には図書館の書庫にあるような、ガラガラと移動する本棚があったのだけど、専門の書籍は隠すように目立たないところにひっそりと配置され、ホーンブローワーシリーズや、グインサーガ、あるいはアイザック・アシモフなどが誇らしげに並べられていた。それまでは祖父の家に残された伯父の本棚から勝手に本を借りていたのだけど、「隣りのおじさん」が引っ越してきてからは「隣りのおじさんの」の許可を得て堂々と借りることが出来た。ミステリ小説も薦められたはずだけど、地元の図書館にある赤川次郎を全部読んで、ミステリにすっかり厭きていた頃だったから、まるで読まなかった。祖父の家の伯父の本棚には小松左京星新一など日本のSFが多かったのだけど、「隣りのおじさん」の家には海外のSFが多かった。今、僕の部屋の本棚に収まっているアーサー・C・クラークの『都市と星』とか『地球幼年期の終わり』などはそのころ借りてきて、そのまま返さず終いになったものだ。
「隣りのおじさん」が白血病で死んだのは、僕は高校生になってからで、まだ四十になるかならぬかぐらいの年だったと思う。通夜の晩、式場で棺を前に、夜通し線香の番をしながら、レイモンド・チャンドラーの『さらば、愛しき女よ』を読んでいた。僕の隣りでは、まだ小学生だった母の妹の娘、つまり僕の従姉妹が少しはしゃいだ様子で一緒にいたのだけど、途中で眠ってしまった。死者の前で眠るというのは何だか少し奇妙だなと思ったのを憶えている。今年で八十五になった祖父も、死んだ「隣りのおじさん」の父である祖父の弟もまだ元気で、嫁にいった二人の妹と、養子に出た三男を含め、祖父の兄弟は全員存命で、曽祖父が九十六、曾祖母が九十八まで生きたから、本来は長命な家系なのだと思う。その分、「隣りのおじさん」は随分若くに死んでしまった。母の母、つまり僕の祖母も若死にしているので、僕も若死にするかもしれない。
「隣りのおじさん」の奥さんは籍を戻し和歌山の実家に帰ったのだけど、再婚はせず、「となりのおじさん」の研究を引き継ぐ形で今も研究所に勤めている。もともと職場結婚だったらしい。華道の師範の資格も持っていて、「となりのおじさん」の家の玄関にはいつも花が生けられていた。子どもだった僕から見ても箱入りのおじょうさんのように思えた人だったのだけど、とてもしっかりしている。一人息子はもう高校生になったそうだ。その奥さんから桃が届けられたというので、桃が好きな僕のために祖父が電話をかけてきてくれたのだ。それだけのことが何やら長くなってしまった。
これを書きながら、古事記に「黄泉比良坂の坂本に到りし時、その坂本にある桃子三箇を取りて、待ち撃てば悉に逃げ返りき」とある黄泉の国で伊邪那岐命が雷神を追い払うの使った「桃子」は桃ではなくて山桃だという話をどこかで読むか聞くかしたことがあったことを思い出したりした。