月の春

厚手の靴下を履き、皮手袋をして、とっくりセーターの上に襟元に大袈裟にファーのついたコートを着込んでなお剥き出しの顔に纏わりついた冷気が身体を内側から冷していくようで、とても寒い。
寒さに対してはひどく鋭敏になりながら、それ以外のことは鈍磨され、覚めていると同時にぼんやりとしているような変な状態で、堤防沿いの歩道にあがって車を心配する必要がなくなると、夕暮れ前のひどく引き伸ばされたような青空を呆けたように眺めたりなどしてしまう。左端の方をわずかに欠いだ月が、夜見るのとは違う慎ましげな様子で小さく浮んでいて、それが青白い空に穿かれた小さな白い穴のように見え、冬を迎えた月の兎が、あの穴に潜りこんで冬眠するに違いないなどとメルヘンチックなことを思う。
いやいや、月の春などあるはずもないから、一度冬眠してしまった兎は春を夢見ながら永遠に目覚めることなく、つまり月の地中には無数の兎が折り重なるように眠っていて、これではメルヘンどころか残酷童話ではないか、なんていうくだらないなことを考えていた所為で、渡らぬでよい橋をいつのまにやら渡っていて、夕暮れ前の冷え込む寒さのなか、余計なまわり道をしてしまった。