死に顔

橋の狭い歩道を部活帰りらしい女子中学生の一団に塞がれてしまい、しかたなしにその後ろをトボトボと歩いていると、不意に「寝顔も見られたくないけど、死に顔も見られたくないやんかー」という言葉が飛び込んできた。「死に顔やて、ここに変な子いてるー」「死ねー。死んでまえー」「よーし、そやったらここから今すぐ飛び降りたる」「あかん、冬やから風邪ひくでぇ、春まで待ち」とその反応は変なほうに流れてしまったが、死に顔を誰かに見られるということを中学生が考えるというのは、なんだか新鮮だった。誰に見られたくないのかまでは聞いていないので、はっきりとしないが、男子だとか好きな人だとか、そういったところだろうけども、果たして彼女の考える死に顔とはどんな死に顔だったのだろう。僕の年齢になっても老衰や病死は実感がないから、事故死だろうか。確かに、交通事故などにあって、顔が潰れてしまうような死に様は年頃の女の子にとっては堪らないことだろうが、どんな時にそんなことを想像したのだろう。友人たちと話すその様子は朗らかなものだったが、あるいは自殺など考えたことがある子だったのかもしれない。
僕は彼女らの年頃に、死について考えたことがあったろうか。今思い出せる中学時代の記憶は、何だか馬鹿馬鹿しいものばかりで、小学校の延長のようなものでしかなかったし、今現在も、格別なにか考えることがあるわけではない。
そういえば、川縁で凍死していた浮浪者の死体を警察が収容しているのを遠く堤防から見たのが、確か中学の時だった。あの時僕は一体なにを考え、その様子を眺めていたのか。ひどくぼやけてしまって、よくわからない。