井上光晴 『虚構のクレーン』

金子光晴を探していたらかわりに見つかったのが井上光晴だったというのが読み始めるきっかけであるという嘘のようなホントの話。その時手に取ったのは講談社文芸文庫の『目の皮膚/遊園地にて』という短編集で、『目の皮膚』というタイトルもよかったのだけれど、裏表紙に書かれた「先駆的都市小説」という言葉が決定的だった。これに収められた短編がどれも面白く、中でも、渡船場に捨てられた嬰児を焼くシーンから始まる『赤い手鞠』が魔術的リアリズムという言葉を使ってもよいのではないかという風で特に面白かった。井上光晴が映画『全身小説家』の作家なのだと知ったのは解説を読んでからだった。その『全身小説家』と同じ監督による映画『ゆきゆきて、神軍』の主演たる奥崎謙三が、僕が井上光晴の『虚構のクレーン』を読み終えた今日死んだというのは何かの暗合ではなくて、ただの偶然で、この前から僕が読み続けている藤枝静男が亡くなったのと同じ八十五歳だったというのもただの偶然で、僕の祖父もこの四月に八十五歳になったばかりだというのもただの偶然だ。これがもし必然であったとしたら、祖父は八十五歳で死なねばならず、金銭的援助も含め祖父に世話になりっぱなしな僕は、何か一つくらい祖父に報いたいと思っているので、そのような必然などあってはならぬと、強く思うのだ。明け方の五時くらいに突然電話が鳴り響いたことがあって、そんな時間に鳴る電話は不吉なもの以外の何物でもないように思え、恐ろしくて出れなかったことがあった。結局は間違い電話か何かであったようで、何ごともなかった。祖父には健やかに長生きして欲しいと思う。
この項つづく。