車谷長吉 『赤目四十八瀧心中未遂』

自らをスカタンと呼ぶ「私」と今現在の僕とは境遇が似ているといえなくもないと思った。一年で仕事を辞めてしまったあと、半年何もせず貯金で食い繋ぎ、まるきり金が無くなってしまってからようやく働き始めたものの、結局半年後には六年住んだ部屋を追い出されるような形で出て、今は週に何日かしか働かないといったその日ぐらしの有り様。晴れた日には日がな一日だらしなく寝そべって本を読み、雨が降り続けば、傘をさして増水した川を見に行く。抜け間無く奢りの酒にありつき、愛想笑いを浮べ、女の愚痴を熱心に聞いたふりをする。本などいくら読んでも何にもならないし、こんな文章をいくら書き綴ったところで一銭にもならない。そんな暮らしぶりがひどく恥かしく、なるべく人に知られたくないと思うも、不思議と不安はない。時がくれば風に吹かれて霧散するように、自然にふぅっと消えてなくなるものだと思っている。スカタンな無能者はそうやって痕跡残さず消えていかなればならない。だから車谷長吉が(作者と作中の「わたし」がイコールでないと知りつつも)心中未遂といえるほどのことはせず、のうのうと生き残り、このような小説まで書いてみせたことが、手酷い裏切りのように思えた。
だから、その裏切りをこのように無残に書きつけなければならなかったのかもしれない。そうだとすればやはり作者は死に損なったということか。