井上光晴 『九月の土曜日』

戦後左翼文学の旗手でありながら、先駆的都市小説の書き手でもあった井上光晴のこの二つの系統の小説群について、本書の解説で日野啓三が上手い具合に書いているので臆面もなく引用したいと思う。

井上氏の長編力作系列の作品を、たとえばセザンヌのサント・ヴィクトアール山連作とすると、日常的短編系列は、ゴッホの寝台やパイプや椅子を描いた作品に近いということができようか。雲が裂け地平の歪むような憤怒、哀切、感動はないとしても、われわれの人生の日々の紛れもない実質を形成しているささやかな事柄や事物の不思議な手ごたえと、そのさり気ないたたずまいのすぐ裏にひっそりと透けて見える或る薄気味悪く虚しいものを、これらの短編群はそっと証し立てている。

僕がはじめて読んだ井上光晴の短編集『目の皮膚/遊園地にて』(講談社文芸文庫)で惹かれたのはまさに『日常のすぐ裏側にある薄気味悪く虚しいもの』であって、そういった意味ではこの短編集は過渡期的なもので、常識的に了解可能な事柄に収斂されてしまう部分が多く、もったいなさを感じてしまう。そんな中で(解説でも書かれているのだけれど)『紙の夜に』だけが徹底して完成されていて、凄みを覚える。