島尾敏雄『死の棘』(新潮文庫)

当初滑稽にすら思えた夫婦のやりとりもかくも執拗に反復されれば、息苦しさにかわる。それなのに途中で興味を逸することなく最後まで読了できたのは一体何故なのかを書くのは難しい。ごく表層的なことだけ書くとすると、妻を狂気に追いやった「女」への配慮が見え隠れしていると思ったことで、たとえば作中では明記されてはいないが、「女」からの電報や、家への置手紙は、妻ミホの狂言ではないかと思える節がある。「女」が家に押しかけ散々に騒いでいったという隣家の証言もあくまで妻の口を通したものであって、語り手が直接聞いたことではないし、その後実際に姿を表わす「女」は、脅迫者としてはではなく、弱々しい被害者として描かれていて、語り手は「女」との面会はあくまでも拒みはするが、その代償といったように、「女」に同情的な警官を自身の代弁者のごとく登場させている。興味深いのはこの『死の棘』も他の多くの作品と同じく、島尾ミホの手により清書されているということで、結婚はおろか、特定の人間との親しい関係を一定期間以上持続出来たことのない僕のような人間にとっては想像を絶する夫婦関係である。

死の棘 (新潮文庫)

死の棘 (新潮文庫)