またもや夢中阿房列車

すっかり阿房列車漬けになったようで、またも列車の夢を見た。しかも今度ははっきりと阿房列車の夢なのだが、なんだかとてもややこしい夢だった。
作家らしい女性が、阿房列車に乗っているのだが、その光景と、その女性が書いたらしいその「阿房列車」の文章とが、夢を見ている僕にはダブって見えていた。列車のなかに僕自身がいないのは確かで、夢のなかで文章を読み、ダブって見えている光景のほうは、夢のなかの僕が文章を読んで想像した光景だったのかもしれない。僕自身や、僕自身の視線は夢のなかにははっきりとなく、光景も途切れがちで、文章を読んでいる僕自身が見えたりすることはなく、また文章を読むというが、それが雑誌なのか本なのかも分明でなく、夢を見る、というが、夢はかならずしも「見える」ものばかりではないのだな、と思うのだが、これは勿論目覚めてから思ったことで、僕自身の視線がまるでないことなど夢見ている僕はまるで気にしていない。
やがて、女性はなんだか知れないが、ヘマをする。乗り間違えたか、乗り損なったか、もっととんでもないことだった気もするがよくわからない。そこへ突然百間先生が現れて、とはいっても女性の乗っている車内に現れたのではなくて、どうも別な列車のなかで、僕と同じように女性の書いた文章を読んでいたようで、向かいに座ったヒラヤマ山系くんに話しかける。
「女性に阿房列車は無理だよ」
「はあ」
「なんで無理かは聞いちゃ駄目だよ」
「そうですか」
「聞かないのかい」
「聞きませんよ」
「そうかね」
といったやりとりをまた件のヘマをした女性が読んで、「百間先生に駄目だと云われてしまって、私はひどく落胆してしまった。」と結んでいるのを、夢見ている僕が読んでいた、という夢だったらしい。なんともややこしい夢だったのだが、それも目覚めてからのことで、夢見ている間はそれがしごく当然なのだから不思議だ。