下校の時間

横断歩道の向う側に小学生の一団がいて、下校の時間に帰宅するなんて、まるきり小学生並みだな、などと思っていると、信号が青へと変わった途端に、一団のなかで一番年長らしい、とはいってもまだ四年生ぐらいの男の子が「おい、バルセロナ!」と突然わけのわからないことを大声でいって、何事かと思えば、信号が変わったことに気づかずお喋りしていた年少の子に注意しただけようだった。
それにしてもなんで「バルセロナ」やったんやろか、と不審に思ったのを見透かしたわけではないだろうけど、「なんかしらんバルセロナってゆうてもうた」と恥ずかしげにいい訳してるのが、すれ違いざまに聞こえてきて、そういえば僕もあの年頃には、憶えたての言葉を不意に大声で口にして、自分でも驚くようなことがあったことを思いだし、つい先程小学生並みだなんて、否定的な感想を持ったばかりだったというのに、懐旧の情がわいてきて、自作の歌を大声で歌いながら下校したりした幼い自分の姿が脳裡が浮かんだりした。しばらくすると、まるで押し競饅頭みたいに、押し合いしながらコロコロ笑っている三年生くらいの女の子三人組とすれ違って、「彼氏なんておらへんわよぉ」といっているのが聞こえた。だいたいいつの時代も女の子のほうがマセているもんだろうけど、今時の小学三年女子の日常語のなかには「彼氏」なんて言葉も含まれるのかぁと、今度は一緒に下校していた好きだった女の子に、「あらのくんはかっこいい感じやなくて、かわいらしい感じやもんね」といわれたことを思い出したりした。そんな甘酸っぱい気持に浸っていると、今度は、道の脇でズボンを堕ろそうとしている男の子がいて、背後から僕が近づいていることを察すると、慌ててズボンを戻して、照れ笑いしながら、仲間の男の子に「ちゃんと見といてや」なんていっていた。あの子らから見れば僕は立派な大人で、ちょうど僕が小学生気分に浸っているところだとは知るよしもなく、下校途中のたわいもない悪戯を見咎めたりはしないどころか、大いに激励したいぐらいなのを当然わからはずもなく、変わったの背丈くらいのもんで、中身は大して君らとかわってへんで、などといいたくなったりする。
それにしてもみんななんだか妙に浮ついていて、そうか今日は終業式か、と気づいたのは小学校を過ぎてからで、休みが終われば学年が変わる春休みは、ほかの長期休暇と違って格別な思いがあるんだろう。
そんなことを思いながらコンビニに立ち寄って、最近三日に一度は食べている「なめらかクリーミープリン」を手にレジに並ぶと、僕の前にいた老人が金を払う前に手にしていたカップ酒を開け、一口啜った。定員が驚いろいて対応に困っていると、「国鉄が、あかんもんやから、うちらみな殺されてしもたんや」などといい出す始末で、ボケているのか酔っているだけなのか、国鉄の話を続けながら、金を払ってヨタヨタと店を出て行って、そのいかにも耄碌した雰囲気と、おそらくはユニクロらしいこざっぱりした恰好が妙に印象的だった。自分でユニクロの服を買ってきたりはしないだろうから、ちゃんと面倒見てくれている人がいるのだろう。
コンビニを出て、自分もあんな老人になるのではないかと一瞬思いはしたが、小学生に戻れないのが自明なほどには、将来のことなど明かではなくて、どんな老人になるかは、今の自分の心がけ次第なんだから、どうせなら、「立ちション便大いに結構。大いにやりたまえ」といえる老人になりたいと思う。