大江健三郎 『河馬に噛まれる』

学生時代の友人に大江健三郎が大好きな人がいて、しきりに読め読めと薦めるので、かえって読まなかったりした。多分『性的人間』と『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』の二冊しか読んだことがない。それなのに突然読んでいたりしたのは何故かというと、河馬というもの、いや河馬という言葉に表象されるものに、ある特別な思いを抱いていて、それが何であるかはここでは書けないのだけれど、本を読む理由に大層な理由はいらないだろし、僕以外の人にとってはどうでもいい類のことなので、別に書かなくて構わないだろう。迂遠ないい方を止めにして、直截にいってしまうと恥かしい理由だから書けないのです。僕は恥かしがりなんです。
一つの虚構が次の虚構を呼び込み連なっていく様子が面白く、変に天邪鬼にならず、もっと前から読んでおればよかったと思った。ロクに読んだことがないのに、学生時代、学内で非公開で行なわれた講演にツテを頼って潜りこんだことがあって、次男の書いた作文を勝手に添削して、「君は文章は上手くなく文学者には向いていないが、正確さは持ち合わせているので、科学者にはなれるであろう」と書いたところ、それは湯川秀樹の文章を写したものだったという話や、「文章というものは相手にちゃんと伝わるよう正確にわかりやすく書かねばなりません。私の文章は読みにくいと評判ですけどね」といっていたりしたのが面白かった。そんな話を聴いて、隣りでガハガハと無闇に笑い「あの人なかなか楽しいことをいうね」と僕にいったのが、当時の学長だったというのはまるで蛇足な話。