藤枝静男 『或る年の冬 或る年の夏』

藤枝静男私小説家である以上、小説に書かれるのは藤枝静男自身のことで、一冊読むごとに作者自身について知ることになり、もう随分と藤枝静男のことを知ったつもりになってしまっていて、藤枝静男とは云々というようなことを書きかけてしまったのだけど、よくよく考えてみれば読みかけの随筆集もあわせてまだ六冊しか読んでいないので、そのようなことはもっと読んでから書くことにしようと思う。
『或る年の冬 或る年の夏』は寺沢という三人称で書かれているので、純然たる私小説とはいえないのだけど、やはり書かれていることは藤枝静男自身のことで、ここに書かれたいくつかの断片はこの後に書かれる小説や随筆と重なるところがあって、その為に複数の視点で同時にものを見ているような面白さがあった。腸出血を起こし死んでしまう飯尾というのは藤枝静男ペンネームのもととなる北川静男のことで、中島と三浦は当然、平野謙本多秋五である。話は随分とずれるけれど、平野謙のことは藤枝静男を読む前から名前だけは知っていて、有名な評論家なのだから知っていて当然なのだろうけど、僕はてっきり平野謙とは探偵小説専門の人だと思っていた。というのも江戸川乱歩中島河太郎らと世界推理小説大系の編集委員をしていたり、仁木悦子の犯人当て小説『みずほ荘殺人事件』について、問題編に問題があると文句をつけてみたりしているからで、探偵小説についての評論もいくつもあり、坂口安吾、大井広介らと探偵小説の犯人当てを興じ、坂口安吾が全然当てられないものだから、腹を立てて、それなら俺が書いてやると書かれたのが『不連続殺人事件』で、誌上で連載された際、解決編の前に、江戸川乱歩らと共に名指しで挑戦されたという話なんかは『不連続殺人事件』のあとがきに高木彬光が書いているから有名だと思う。その平野謙が、探偵小説のみならず、戦後文学界を代表する有名な評論家だと知ったのは藤枝静男を読んでからのことで、何か変な風に吃驚した。
平野謙本多秋五藤枝静男の三人は共に青春を過ごした昭和初年の頃から、五十年以上親友で在り続けた。平野謙は、1978年、昭和のうちに七十一歳で死に、藤枝静男は、1993年、平成になってから八十五歳で死に、本多秋五は、2001年、二十一世紀になってから九十二歳で死んだ。親友が一人死に二人死にしていく。それは寂しいことなのだろうけど、僕には羨ましいことのようにも思えた。