『博士の愛した数式』

博士の友愛数完全数の説明に、中学生の時分に、アーサー・C・クラークの『グランド・バンクスの幻影』を読んでマンデルブロー集合というものを知り大変興味を駆られながら、結局その数式を理解し得ず、自分には数学の才能などないのだ。とあきらめてしまったことを思い出したりした。子どもの頃には何にだってなれると思っていたのに、そうやって一体いくつのことをあきらめてきたのか。そんな甘酸っぱい思いが今更のようにこみ上げてきたということはつまり、まだあきれめきれていない何かがあるのではないかということもまた青臭い。ところで、博士の記憶が八十分しか持たないというこの八十分というのがよくわからない。八十分ごとにリセットされるのか、八十分を超えるとところてん式に押し出されてしまうのか。おそらくは後者だろうと思うのだけれど、どちらにせよ不思議なのは、記憶は毎回失われるとして、その日の気分や体調などは毎回異なるだろうから、博士の反応が毎回同じであるとは限らないのではないかということで、自分の記憶が八十分しか持たないことに絶望的になるときもあれば、なぜそうなってしまったのかひたすら問い続けるようなときもあり、あるいはまるで気にしないときもあったりするのではないだろうか。少なくとも僕はある日突然自分の記憶が八十分しか持たないと告げられたら、そうすぐに納得することは出来ないだろうし、一体全体何回目の「ある日突然」なのかに恐怖するだろうと思う。それにしてもこの映画自体が八十分以上あるのだから恐ろしい。