古井由吉 『咳花』 (『椋鳥』中公文庫)

冒頭の「――咳の中に仏がいる。」という一行に、あっと思う。つい先日似たようなことを考えたというか、体験した為だ。
咳き込んだ拍子に、口のなかから何か飛び出て、アスファルトの路面にぶつかりカチンと音を立てた。歯でも折れたかと、少し焦ってよく見ていると、米粒が一粒アスファルトにへばりついていた。炊いた米がカチンと音を立てるはずもないから不思議な話で、はてと顔をあげ、ややあってから、「仏だ」と思った。路面にへばりついた米粒が乳白色の石に彫られた仏像に思えたのだ。おそらくは「一粒の米にも仏が宿る」なんていう教えからの連想なのだろうけど、カチンと音を立てた不思議さにかわりはない。
余計な話が長くなったが、この『咳花』も禍福あわせた何やら恐ろしいような話で、仏のことから始まるのも頷ける。それにしても問わず語りの気侭さに語り進められていくようで、最後にすべてが見事に絡み合う様は絶妙という他なく、恐ろしい話であるのに出来た推理小説を読んだような心地好さがあった。