後藤明生 『壁の中』(中央公論社)

当初、早くとも十日はかかるだろうと思っていたのを五日で読み終えたのはそれだけ面白かったということなのだけれど、読み終えた今も、やはりあいかわらずわけがわからないままで、文章は平易で、格別難解なことが書かれているわけでもなく、後藤明生読者にとっては毎度お馴染みなことばかりだというのに、総体としてのこの『壁の中』という小説はナニモノであるかとなるともうてんでわからない。
ただ、面白く読めたことは確かで、荷風との対話が楽しかったということはすでに書いたとおりだし、第一部での(『外套』や『鼻』については毎度お馴染みだけど)「ギリシア神話」や「聖書」の後藤明生流語り直しも実に愉快で、自分でももう一度読み直したくなり、「聖書」や、『断腸亭日乗』を引っ張り出してきては、ぱらぱらと読み返してみたりした。「ギリシア神話」は小学生の頃に星座の話として親しんだ世界であるのだけれど、長大な『イーリアス』や『オデュッセイアー』はちらちらと読み返すのには不適切で(大長編叙事詩だもんな)、もっと概説的なものが手元に欲しいところ。中学生の頃に買った思い出深い一冊である現代教養文庫の『ギリシャ神話 付 北欧神話』(山室静)が、本棚のどこかに収まっているいるはずなのだけれど、安易には見つからない。
こうしてみると、作中に

われわれに残されていたものは、復習しかないということなのです。

とある通り、色々と読み返したくなる作用それ自体が、『壁の中』という小説なのかもしれない。そんなわかったような、わからないような話。