本日の読書

後藤明生 『壁の中』493/566。
後藤明生マーラーの夜』(『しんとく問答』講談社
『壁の中』第二部は「贋地下室」の住人である「わたし」と永井荷風との対話が延々と続くということは読む前から知っていて、この部分はさすがに退屈なのではないかと思っていたのだけれども、いやはやこれがすこぶる面白い。のらりくらりと受け流す荷風に対し、アミダクジ式の脱線を繰り返しながら、昭和三十一年一月十八日の浄閑寺訪問の事実が、『断腸亭日乗』では一行も書かれていないことを追求する場面は、まるで名探偵と犯人の最後の対決のような変な迫力があり、それにつづきアミダクジ式に辿りついた永井荷風高見順の関係*1を書きつける様は実に嬉々としていて思わずニヤついてしまうほど。
途中妙な中断(486ページ)がはいり、不審に思ったのだが、これは巻末に

『海』一九七九年十一月号より一九八四年五月号までと、
中央公論文芸特集』一九八五年夏季号に掲載。

とあるのを見て納得する。つまりこの中断の箇所は一九八四年五月号掲載の部分であり、この号で掲載誌『海』は廃刊になってしまっている。それだから

「(前略)センセイとわたしの対話が、とつぜん、何かよくわからない原因によって、中断されたことは事実です。実際、センセイも《あんまり人を待たせるもんじゃないよ》といわれたわけでしょう。そしてその理由をあれこれセンサクされた。(中略)海の向うへ遊びに行って来たんじゃないか、とか。ところがこちらは海の向こうどころか、もうかれこれ一年ばかり、海そのものさえ見ていない(後略)」

となるわけだ。ほぼ同時期にこの『海』には筒井康隆の『虚人たち』も連載されていたらしく、まったく惜しい雑誌が廃刊になったもんだ。もう二十年も前の話だけれど。

*1:高見順永井荷風の父親の実弟の私生児、つまり二人は従兄弟同士である。