藤枝静男 『異床同夢』(河出書房新社)

『武井衛生二等兵の証言』『異床同夢』の二作は、終戦直後、ソ連武装解除を受けたあと、部隊から脱走し、家族のもとに逃げ延びた武井衛生二等兵が語り手となっていて、狭義の「私小説」ではなく、聞き手として藤枝静男本人が登場するわけでもない。それなのにやはりそこには藤枝静男自身が描かれているように感じた。この二作の語り手である武井衛生(元)二等兵は、阿諛追従することに恥じることのないあっけらかんと自己肯定してみせる人物で、それは常に呻吟しているかのような藤枝静男の印象に反することなのだけれど、藤枝静男に限らず、人は、自己嫌悪し続け生きることは出来ないのではないか、むしろ普段はあっけらかんと自己の存在を許し、時に思い出したかのように自己嫌悪するのではないか、とそう思った。あとがきにも

 私は今年満六十七になったと思ったらもうじき六十八になる。何となく気分が衰えてきたような気がするのは情けない。書く小説も話に意気地のないものが多くなったのは残念である。この集にはそういうものを集めた、と云ってもみな自然に書けていて自分でも大好きであるから、読んでくれる人を騙すことはないと思う。
 一方では勿論そういう小説家たる自分に満足していない。生きている以上そんなわけがない。自己の固有を小説で表現するためには、必然性ある新しい形式とやり方を考案しなければならないと思う。

とあって、自己を追求するには、ひとまずは自己のあるがままを、そのまま肯定するところから始めねばならないのではないかと思う。
このあとがきが書かれた翌年に刊行されたのが、超私小説である『田紳有楽』であるという事実はとても興味深い。いや、当然だというべきなのかもしれない。