山田正紀 『神曲法廷』(講談社文庫)

ミステリという形式において、探偵の前にくり返し敗北することを運命づけられた犯人役こそ、絶対者に挑み敗れ去る人間自身の象徴ではないか、とずっと思っていた。
人類最初の殺人事件であるカインによるアベル殺しで、探偵役を務めるのは神自身であるのだけれど、神は犯人であるカインを厳しく罰することなく追放するに止める。それどころかカインが殺されることのないよう証を与えさえする。その流離人カインの苦悩は、そのまま神のごとき名探偵の前に敗北し続ける犯人役の苦悩であり、神のごとき叡智を持たぬ人間自身の苦悩なのではないか、だとするならば、人間が神に打ち勝つところを、名探偵が犯人の前に敗れ去るところを、見てみたい。犯人に破れることにより、神を騙る探偵は、虚飾を剥がされ、ただの人間へと転落し、神を打ち破った犯人は、悪そのものへと昇華する。そんな物語を読んでみたい、そんな欲求が強くあった。
つまり、ミステリという形式は人間存在の本質へ肉薄できる形式なのではないか、と思うのだ*1

と、前置きがえらく長くなってしまったけれど、この『神曲法廷』で、探偵役を務めるのは神に憑かれた男であり、まさに神自身が探偵役で、僕の求める形とはまた別な形なのだけれども、神と人とのまっ向な対決が描かれている。いささかサービス過剰で無理のあるトリックが強引に挿入されていたりもするのだけれど、知的ゲームとしてのミステリと「神」というテーマの融合は見事で、(毎度お馴染みの細かい疵には目をつぶるとして)傑作なのではないかと思う。

ところで『神狩り2』でも思ったのことなのだけれど、ハンバーガー屋でのバイトシーンがやけにリアルで、山田正紀本人がハンバーガー屋でバイトしたことがあるのではないか、なんてことを思ってしまった。

神曲法廷 (講談社文庫)

神曲法廷 (講談社文庫)

*1:P・D・ジェイムズの某作などはまさにこの通りの展開で、今のところ一番好きなミステリとなっている。