藤枝静男 『今ここ』(講談社)

藤枝静男の死後に刊行された単行本未収録作をまとめたもの。小説は六作で、生前最後の作品集となった『虚懐』以降のものは三作。あとは随筆と、浜松の老舗タウン誌『浜松百撰』の創刊号から七年続いた『静男巷談』が完全収録されている。『静男巷談』の一部は加筆修正され、他の随筆集に収録されている。藤枝静男の単行本としては一番分厚い。
私小説家の晩年の作品にはそれ以前の全ての作品が自ずと内包されていると勝手に思っているのだけれど、藤枝静男の絶筆となった『今ここ』(『群像』一九八五年九月号)には、晩年の作品に繰り返し登場する自宅の庭のことや、これも繰り返し登場するTさんこと竹下利夫氏とのこと、妻や兄弟の結核のこと、平野謙本多秋五と過ごした学生時代のこと、『近代文学』同人のことなど、短いページ数のなかに、全て詰め込まれている。この最後の小説が発表になってから、死去するまでには八年の時間がある。この間の詳しいことはわからないのだけれど、死の間際には、自分が小説家であったことも、長年の友人の本多秋五のこともわからなくなっていたらしい。時流とはなんの関係もなしに、ただひたすら「私」を書いてきた作家が、最後には「私」を無くしてしまうのは、皮肉なようでいて、ひどく当然のことのようにも思える。