『大日本人』(2007/松本人志監督)

ミーハーなので『大日本人』を見に行く。
予想外に笑える楽しい映画だった、ということはもっとわけのわからないものだと思っていたということで、その意味では多少肩すかしではあったものの、十分に笑えたし、拒絶したいような要素も特になかった。
ということで以下ネタバレ。




非常にまじめにふざけている映画であり、比較に出すのは正当でないかもしれないけども、『発狂する唇』や『血を吸う宇宙』が、頭のいい人がB級映画たるべく頑張って作ったB級映画であったのと違って、純度の高い馬鹿馬鹿しさがあって、無理なく自然にアホらしかった。

何の映画からも影響を受けていないと、パンフには書かれているけれど、ギャスパー・ノエ監督の『カノン』との類似を感じた。『カノン』の肉屋が町を刻々と移動しながら呪詛に満ちたモノローグを撒き散らように、この映画での大佐藤も場所を変え、移動しながら、インタビューで不平と理想を語っている。『カノン』にて冒涜を予感させるシーンの後に、「映画館を出るならあと十秒」というメッセージがはいるように、『大日本人』でも、コントへと変容(まっとうな映画への冒涜とも捉えられると思う)する前に「ここからは実写でお送りします」(ちょっと不正確かもしれない)というメッセージがはいる。

怪獣とはいえ人畜無害な赤ん坊を殺してしまったり、重症を負った自身の祖父にとどめを刺してしまったり、勝てない敵から安易に逃げ出してしまったり、こういったことは、今のテレビでは出来ないことなのだろうけど、それは小説やあるいはインターネットの世界ではさほどタブー視されていることではなく、松本人志が、北野武のようにテレビと映画で自分を使い分けたりせずに、テレビタレント松本人志として映画を撮ることで、いかに今のテレビが偏狭になってしまっているかが浮き彫りにされているように思う。

ドキュメントという形から始まって、コントという形で終わる、つまりリアリズムが虚構に変容するというのは、いかにまじめに仕事に取り組んでいても、全部嘘になってしまう(そう捉えられてしまう)、というお笑い芸人の悲哀があり、またそれをあえて明示することにより、「でも、しゃーないやんか」と自己肯定しているように感じた。

期待していたようなもの凄いわけわからんさはなかったものの、率直によく笑えた(特に板尾登場後くらいから)ので、楽しい映画だったと思う。


とかまあそんなんで。