阿川弘之 『南蛮阿房列車』(新潮文庫)

内田百輭の「阿房列車」との違いは、「南蛮」と付くとおり海外に限定されてあるところなのだけれど、内田百輭が、列車に乗って行って戻ってくる行為そのものに重きを置いていて車輛そのものにはそれほど固執していないのに対して、阿川弘之のほうは、車輛そのものへの固執も激しく、その辺はわかりやすい鉄道マニアといった風でもある。やはりなんとはなしに旅情を誘われ、僕も阿房列車を運行したいなぁと思いはするは、いかんせん僕は乗りものが酔いが激しいほうで、車だと十五分、電車でも一時間くらいで気分が悪くなってくる。本でも読もうものなら電車でも五分ほどで駄目になる。自分でも一歩も動かずただじっとしているだけで、乗ったところとは別の場所に着く、ということ自体は好きで、当たり前といえばしごく当たり前のことなのだけれど、いまだに電車を降りる度に新鮮な気持ちになれるから本質的には乗りもの好きなのだとは思うが、体質が合わない。宴会は好きだが酒は飲めないという人がたまにいるけれど、似たようなものだろうと思う。
ところで僕の家の近所(というほど近所でもないけれど)には新幹線の基地があって、新幹線が十輛ズラズラと並んでいるところはなかなか壮観だ。阪急の車庫と工場もあり、行ったことはないけれど阪急レールウェイフェスティバルなどが開催されていたりする。多少遠くなるが、かつて東洋一といわれたらしいJRの操車場跡地も自転車でいける範囲にあって、いまでも赤い凸型の、なんだか可愛らしいようなディーゼル機関車などを見ることが出来る。鉄道マニアにはたまらない土地なのではないか、と思うのだが、活字中毒者の僕にしてみればろくな本屋がないので文化果つる土地である。日販の大きな倉庫はあるというのに。
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