後藤明生 『使者連作』(集英社)

書簡体の九編からなる連作で、実名があがられている人物が実在するのは確認出来たけれど、イニシャルだけの人物は実在するかどうかわからない。
手紙はすべて韓国旅行中の体験に関するもので、後藤明生と韓国はいささか複雑な関係にある。後藤明生は日本統治時代の朝鮮永興に産まれた。永興は現在の北朝鮮に位置する。つまり韓国は後藤明生にとって生れ故郷と地続きである別の国ということになる。このある種のディレンマが虚実の判別の尽きがたい手紙と相俟って、断片的に見れば瑣事ともいえる事柄しか書かれていないのに、作品全体としての多層性を生みだしているのが実に後藤明生的。金鶴泳の自殺を挟んで、手紙の主の興味が韓国のシャーマニズムに移っていくのも、また後藤明生的アミダクジ式展開で面白い。タイトルにある「使者」とはこのシャーマニズムに関するもので、あの世からの使者のことで、虚実のわからぬ手紙は、このあの世からの使者に似ていると思う。
さりげない筆致の中に複雑な構造を隠し持っているわけで、それがよくわかる(というのもちと烏滸がましいが)のも、僕が後藤明生をそれなりに読んできたからで、この経験がなければ、この構造にはまるで気づかず仕舞いだったかもしれない。それはつまり今まで読んできた他の作者の他の作品の中にも、僕が気づかなかった「なにか」が数多くあっただろうということで、小説の奥深さを改めて知る。

使者連作

使者連作

『電脳コイル』第十一話「沈没! 大黒市」(ETV)

なんとなくウルトラマンちっくな回。ヤサコが完全に脇役に回った回でもある。
京子はコミックリリーフ的な役割が主であって、あまりストーリーに絡んでこないように思っていたのだけど、今回の案外とダイチに懐いている様子を見ると、元祖黒客組(ダイチ)、本家黒客組(イサコ)、コイル探偵局(ヤサコ)の三つに分裂しているグループを結びつける役目を果たしそうな気がしてきた。この三組が相対している時に、京子が危険な目にあい、皆が協力して京子を助けるとか。ダイチが京子のうんこ語を解読出来るのはギャグでいいのかな、伏線かな。京子が古い空間を見つけられる能力があるのは伏線となると思う。
オバちゃんとメガばあは何らかの関係があるのだろうと思っていたけれど、ここまであからさまに対決しているとは思わなかった。四年前の事件とはイサコの兄が絡んでくるのだろうと思うのだが、そうするとオバちゃんがイサコのことを知らなかったのがよくわからない。イサコの兄は従兄弟で、名字が違うのか、イサコの両親が離婚していて、天沢というのが母親の旧姓なのか。この辺のことは調べればすぐわかると思うのだが。四年前の事件にイサコの兄が関係していないか、関係していても詳細が知られていないのか、あるいは調べられるデータはすでにイサコにより改竄されているのかもしれない。また大きな借りがありながらオバちゃんがメガばあを敵視するのは何故だろう。メガばあのつくる商品が遺法すれすれだからか、あるいは私怨があるからこそメガばあの商品はすべて消去対象なのかもしれない。オバちゃんがらみでいえば、今回のような広範囲にわたる事件(その割に一般の市民が騒ぐというようなシーンはなくあまり大事になってない感じだけど)でも現場にでばってくるのがオバちゃん一人というのもよくわからない。現場に出て対処出来る技術を持つ者がほとんどいないのだろうか。あんまし主要でないキャラクター増やしてもしかたないということかもしれないけど。
ダイチの部屋のカレンダーがすでに八月になっていた。意外と時間が経つのが早くて、この分では案外早くに夏休みが終わってしまうかもしれない。

後藤明生 『眠り男の目』(インタナル出版)

追分での『挾み撃ち』執筆の様子をつづった「作家ノート」。作者自身も書いている通り創作ノートではなくて、生活雑記のようになっている。小説が随筆に近づいている作家は結構いるが(私小説家の晩年など特にその傾向がある)、後藤明生の場合、エッセーが小説に近づいていくようで、高校野球や按摩に関する記述は、小説さながらにアミダクジ式に脱線していって面白い。

眠り男の目―追分だより (1975年)

眠り男の目―追分だより (1975年)

第137回芥川賞

諏訪哲史『アサッテの人』に決定。種村季弘に師事とあって、へーと思う。
円城塔芥川賞候補になってなくとも『Self-Reference ENGINE』が気になってたので、近いうちに読んだかも知れないのだけど、川上未映子は「芥川賞候補を読む」ということをしなければ、知らずにいたのは間違いないので、川上未映子を読めたのが今回の一番の収穫だった。文筆歌手ということで歌の方も視聴してみたところ、小島麻由美椎名林檎みたいな独特な世界観があって、結構好きな感じ。
歌はここで試聴出来る。

芥川賞候補作を読む

普段同時代の文学をほとんど読んでいないので、このような企画を行うのは僕には不向きだったなぁと思うのだけど、一応全部読んだので感想を記してみたい。

ということで以下長くなるので続きを読むで。

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後藤明生 『蜂アカデミーへの報告』(新潮社)

岩井氏とのが蜂談義をそのまま後藤明生の自説解説みたいになっていて、井伏鱒二の『スガレ追ひ』に対しての「このウソかホントか、すれすれの境界。ウソでもありホントであるところの境界。その境界が、この小説の妙味ですな」という言葉は、そのままこの小説の面白さでもある。「蜂」を「文学」と読み替えることも出来るのではないかとも思うがもう少し考えてみたい。
手元に置いておきたい一冊なんだけど、入手困難なんだよなぁ。中央図書館には何冊も所蔵されていたから、一冊くらい定価で買い取らせて欲しい。定価千円だし。

蜂アカデミーへの報告

蜂アカデミーへの報告

『電脳コイル』第十話「カンナの日記」(ETV)

今週もとっても面白く、来週もとっても面白そうで、日曜日は前日の余韻を楽しむとして、平日はスパっとすっ飛ばしてしまいたいくらいな今日この頃です。

イサコにお兄ちゃんがいることが確定。イサコが妹キャラであることは前々から想像(妄想)していたけど、やっぱりああいうシーンにはニヤニヤしてしまいますね。実の兄ではなくて、おじさんの子どもで従兄弟のお兄ちゃんかもしれないけど。しかし思っていたよりも早めでの確定なので、こうなってくると「4423」=「イサコの兄」というのもミスリードなんじゃないかと思えてしまうんだけど、あまり推測して見ていない視聴者にとっては意外な展開だろうから、これくらいが丁度いいのかもしれない。それにしても以前から自称していたとはいえ本当に「4423」が名前だったのには驚いた。暗号名ということはあの時点で既に暗号屋だったということでいいのかな。デンスケの鍵穴首輪はあのシーンのあとに「4423」がヤサコにプレゼントしたんじゃないかな。だから日記にも鍵穴が描いてあったとか。しかしこの暗号名「4423」とカンナが残したキーワードとしての「4423」や、オジジのファイルにあった「4423」とどのように繋がっていくのかはまださっぱりわからない。でも自称だったのだから、イサコ(4月4日生まれ)の兄(23)で「4423」というのは本当にありそうに思えてきた。 
ところで最後の病院のシーンにて、イサコは当初花束を二つ持っていたのに、おじさんの病室を訪れた時には一つになっていて、エレベーターで下る描写もあることから、おじさんの病室に行く前に他の階の誰かを見舞ったということが推測される。それって、イサコの兄なんじゃないだろうか。なんらかの原因により肉体から電脳体が乖離した際、意識も一緒にアッチに連れて行かれてしまい昏睡状態に陥り入院しているとかそんなんで、『AVALON』の「未帰還(LOST)」みたいな状態。あるいは兄と思わせておいて、母親かもしれないけど。

ヤサコの部屋に度々登場しているブリーフ人形のポスターを発見。「惑星ココイル」というアニメ(?)のキャラクターだったみたい。壁に描かれていたのは京子の落書きかな。あと本棚が階段型だった。使いづらそう。
「ココイル」で思い出したけど、『電脳コイル』の「コイル」は「ここにいる」の略なんじゃないかなと以前に思ったことがあった。アッチに惹かれるイサコに対して、ヤサコが「今ここにいるってことが大事」みたいことを言うとか。

アキラのペットがイサコを尾行していたけれど、フミエやダイチたちにイサコの兄のことがバレるのはまだ早い気がするので、なんらかの理由で秘匿しておくんじゃないかと思う。今までもしれーと二重スパイしてたくらいだから、それくらいのことはしそう。