読了
概論的なものでなくて、作家である中村真一郎自身の方法の模索の解説のようなもので、作者自身の読書体験記のようであり、読みやすく取っつきやすかった。フランス現代文学史のような側面もあって、フローベールの文体は「描写」であり、スタンダールは「分…
民俗学とミステリは相性がよさそうだと読む前は思っていたのだけれど、実際に読んでみると、似たもの同士であるだけに、双方のバランスを上手く取るのは難しいようで、民俗学の方面が面白そうであれば、作中で起きる事件への興味が薄れ、事件への興味のほう…
前巻に登場したミュータント、ミュールによる第二ファウンデーション探索と、第一ファウンデーションよる第二ファウンデーション探索の二部に別れているのだけれど、どちらも完全にミステリの筆法で書かれていて、いささかアンフェアなところがないではない…
夢の考察、夢に関するエッセーのようなものから始まって、徐々に夢そのものへと移行していく短編集の流れそのものが実に夢っぽい。 ところで、起きた時に思い出す夢は、どれほど夢見ている時の夢と同一なのだろうか。僕も自分自身の見る夢に興味を引かれるこ…
小川国夫の解説などで知ってはいたけれど、藤枝静男は実によく喋る。やはり平野謙、本多秋五の二人と対談しているのが楽しそうで、平野は男前でよくモテて、おれはぜんぜん駄目だった、と何度も繰り返しているのが楽しい。 阿部昭との対談中に、藤枝静男の小…
時代小説はほとんど読んだことがないので比較は出来ないのだけれど、伝奇小説でありながら江戸時代の生活感のようなものがよく出ていて、江戸風俗案内のようですらあり、活劇シーンや、それなりに必然性のあるお色気シーンが程よく配されていて話の展開は割…
内田百間の『阿房列車』との最大の違いは国内か国外かということではなく、ヒラヤマ山系くんの不在であると思う。阿川弘之のお供はいつも不平不満だらけで、ただ列車に乗るだけの阿房らしさを肯定的に読んでいる身にしてみれば、彼らの存在はどうにも邪魔っ…
「阿房列車」が第三で終わってしまうのはなんだか腑に落ちなかったのだけれど、最終列車となった『寝台列車の猿 不知火阿房列車』には、阿房列車運行者のドッペルゲンガーとでもいうべき謎の乗客が出てきたりして、なんだか終わりらしい雰囲気がないこともな…
すっかり阿房列車めいてしまって、『第二阿房列車』を読み終え、引き続き『第三阿房列車』と『南蛮阿房第二列車』を読み進めている。自然読み比べるような恰好になって、やっぱり内田百間*1 のほうが面白いなぁと思ってしまうのはなんだか阿川弘之に申し訳な…
内田百輭の「阿房列車」との違いは、「南蛮」と付くとおり海外に限定されてあるところなのだけれど、内田百輭が、列車に乗って行って戻ってくる行為そのものに重きを置いていて車輛そのものにはそれほど固執していないのに対して、阿川弘之のほうは、車輛そ…
おもしろうてやがてかなしき執事物語。 年老いた執事がイギリスの田園風景のなかを旅しながら懐かしい思い出を思い返すという進行と回顧の二重構造のなか、その回想にも、語られることのなかに、語られないことが透けて見えていて、召使いであるとともに、屋…
どわぁえらいおもろいがな、と一気呵成に読了してしまう。小松左京の最高傑作というだけでなく、日本SFの最高峰なんじゃなかろうか。なんでこんな傑作を読み漏らしてたんだろう。光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』と類似点が多いが、広げた風呂敷をちゃんと…
『文人悪食』の続編。『文人悪食』に比べると、紹介されている作家の知名度はやや落ちる。『文人悪食』が教科書級だとすれば、『文人暴食』は国語便覧級といったところか。全く知らなかったのは久保田万太郎だけだったけども、他も名前を知っているという程…
従来の小説のカタルシスを徹底して避け、決定的な出来事はなにも起こらない。それなのになぜこうも面白く感じるのか。後藤明生の面白さを語るには僕には小説を語る言葉が不足していて、後藤明生を語り、さらに楽しむためには小説そのものへの造詣を深めなけ…
同じ一日を何度も繰り返すというありがちな設定も北村薫が書くと変にほのぼのしてしまって、どうせハッピーエンドなのだろうなー、と油断していたら、後半になって純度百パーセントの悪人が出てきたのでびっくりした。 ところで、北村薫を読んで毎回残念に思…
泡坂妻夫風味の連作短編。ミステリとして格別出来がいいわけではないのだけれど、それぞれの短編ごとに語り口に一工夫あって、登場人物が皆愉快なので、ミステリとして不出来かな、と思える部分はさほど気にならないし、解説で小野不由美も書いている通り*1…
『よつばと!』と設定がよく似ているというのは前に書いた通りなのだけれど、読み終えての感想はだいぶ違って、『よつばと!』があくまでよつばを見守る客観的でイノセントな視点に立っているのに対して、この『季節の記憶』では、クイちゃんのパパである「…
『季節の記憶』が、「僕」と他人との距離感が近しい小説だっただけに、後藤明生の「自分」と「他人」との距離の取り方が異様なほどに思えた。妻や息子に対しても、その他の他人同様に距離を取っている。決定的な態度を留保し続けているといっていいのかもし…
お話がアクロバティックなのはいいとして、それに合わせて主人公が超能力まがいの博才を持っていたり、実は射撃の名手だったりするのはいささか白ける。半ば面白く読みつつも、この主人公に同調出来ず、いまひとつ堪能できなかった。 どうでもいいようなこと…
藤枝静男の随筆集はこれですべて読んだことになる。小説のほうもあと読んでないのは『犬の血』『壜の中の水』の二冊のみ(のはず)。読んではいるが手元にないものならまだ結構あるので、全部揃えるのにはまだしばらくかかりそう。 江藤淳、城山三郎とのソ連…
漱石鴎外から始まって池波正太郎、三島由紀夫まで、三十七人の文士の食にまつわるエピソードが紹介されている。料理から見た近代文学史にもなっているのだけれど、石川啄木の借金癖や、中原中也の粗暴を暴く筆致は容赦がなく、当たり障りのないことしか書か…
武蔵野を舞台とした短編集。もう少し連作要素があるのだと思っていたのだけれど、武蔵野を舞台とした中年男の淡いロマンスということ以外さしたる共通点はない。表題作の『たまらん坂』のみ地名探求譚のようになっており、RCサセクションの『多摩蘭坂』が…
ネタばれは特に忌避していない、ということは以前にもちらりと書いたと思うのだけれど、やはりミステリのネタばれを書くのには抵抗があって、どうにもミステリの感想は書きにくい。完全に自分用のメモ書きに過ぎないと、割り切ってしまえばいいのだけれど、…
追分を舞台とした連作短編集。舞台が追分の山荘周辺と限られている分、月日を奔放に飛び越える後藤明生の語りの自在さが際だっていたように思う。今の光景が、不意に数年前の光景に連なり、その「今」にしたところで、語りのなかでの「今」でしなかなく、当…
『二十四時間の侵入者』 タイトルからてっきり時間SFだと思ったのだけれど、異世界からの侵略テーマだった。SF作家のおじなどが出てくるのが面白いのだけれど、仕掛けらしい仕掛けもなく割とあっさりと終わってしまう。 『闇からきた少女』 こちらがタイ…